枕元を照らすソーラーランタン その2

以前、太陽電池で動くランタンのことを書いた。とても便利な代物なのだが、側面と底面の接着面が破れて、使い物にならなくなっていることも書いた。

そこで、後継品を買ったのだが、これがなかなかよろしくない。

買ったのは「モバイルチャージ付 2WAYソーラーランタン」。型番はHSL-001だ。

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値段は1000円程度。見た目は申し分なく、前回取り上げたランタンに比べて強度もあって良い。

問題は、太陽光ではなかなか充電できないことだ。前回取り上げたランタンは、部屋の中の陽が当たるところに1日放置しておけば、夜には点灯して使えた。ところが、今回のランタンは、1日放置しておいても充電できていない。「充電量が少なく、弱々しい光しか出ない」のではない。まったく光がつかないのだ。

たしかにソーラーパネル、こんなに小さいもんね……。

とはいえ、これは致命的な欠点だ。もちろん、コンセントとUSBでつないでおけばあかりはつく(そしてめっちゃ明るい)。だがそれではソーラーパネルの意味がない。日中置いておけば充電できて、夜少しの間(ずーっとついている必要はないのだ。眠りにつくまでのわずかな時間)ほんのり明かりがつけば良いのだ。

だが、まったくつかない。潔いぐらいに。真夏のこの光で窓際に置いておいてそうなのだから、どこに置いてももはや無理だろう。

なので残念ながらこれは使えないと判断した。

何がいけないんだろう。ソーラーパネルの性能なんだろうか。あるいは、キャンプなどの野外で使用することを前提としているのかもしれない。

こうしてみると、前回のランタンは実はなかなかに優秀だったことがあらためてわかった。見た目はチープ&ジャンクだが、空気を抜けば折りたためることも含めて、とても優秀だ。問題は、空気が抜けてしまうところ……。

改めて、修理の方法があればぜひご教示いただきたい。

スマートウオッチは役に立つ

HUAWEIのBand4をしている。

 

 

本当はアップルウオッチが買いたかったが、何しろ高額なのと、電池が持たないというのが気になり、二の足を踏んだ。ただちょうどコロナ禍の最中だったということもあり、さまざまな身体データが取れるのが魅力で、予算に見合いそうなBand4にしたのだった。

最初のスマートウオッチとしては、見かけがあまりスマートウオッチを主張していなかったので、割とすんなり身に着けることができたのはよかった。

計測できるデータは歩数、心拍数、睡眠時間等。本当はコロナ禍時だったから、血中酸素飽和度とかわかると良かったのだけれど、そこまでの機能はなかった。正直、あまり期待してなかった。

でも、意外と役に立つのだ。歩数はそれまでスマホで測っていたけれど、スマホは身に着けていない時やバッテリーが切れてしまうことがある。だがスマートバンドで記録できると、最終的にスマホの側で数値を補正してくれるので、より正しい数値を知ることができるのだ。他にも、トレーニング時にはタイマー機能が地味に便利だし、外出時はメール着信の通知機能で、いちいちスマホを取り出さずに済むのは助かる。

もちろん、課題もある。一番困るのは、時間がとっさにわかりづらいこと。自転車に乗っていて時間を知りたくても、表面をタッチしないと時刻が表示されない。計測できるデータの種類もまだまだ少ない。

それでもスマートウオッチはデータが取れるのでそれなりに役に立つ。お試しでやってみるにはちょうどいいのでは。

進化したハンドヘルド・デスク

ミニマリズムに関する投稿を書いた際に、山根一眞さんに少し触れた。

kazematijp.hatenadiary.jp

「スーパー書斎の仕事術」という書籍でさまざまな情報管理のノウハウを公開され、随分と参考にさせてもらったものだ。私にとっては梅棹忠夫さんの「知的生産の技術」や外山滋比古さんの「思考の整理学」、野口悠紀雄さんの「『超』整理法」と並ぶ貴重な本だ。特に80年代、90年代には相当な影響を受けたと思う。

 

 

 

 

先の投稿で触れた「どんな事態にも対応できるようなキット」は、「スーパー書斎の仕事術」で「ハンドヘルド・デスク」として紹介されていたものだ。そういえば山根さんは最近どんな発信をされているのかなと何気なくネットを見ていたら、このハンドヘルド・デスクが進化していたことを知った。

www.zakzak.co.jp

ちょっとこれは興味深い。やはりスマホが登場したことで道具類は大きく変わり、一方でバッテリー関連やUSBまわりの器具がかなり増えたように思う。その中でも、マルチ工具や折りたたみ式ルーペ、タバコ型ライター、糸はんだ、超小型瞬間接着剤等のアナログな道具が入っているところがいかにも山根さんらしい。

早速これは参考にさせてもらおうと思う。私なりのハンドヘルド・デスクづくりを進めたい。

広島選出の矜持はどこに

6日は78回目の広島原爆の日だった。平和記念式典をリアルタイムでテレビで見られなかったので、岸田首相のあいさつ文を翌朝の朝刊で読んだのだが、正直がっかりした。広島選出の首相としての「矜持」がまるで感じられなかったからだ。

広島出身の者にとって、原爆は特別なものであるに違いない、と思う。世界で最初の被爆地であるという事実が、一人一人に強烈な責任感を抱かせるのだろうと想像する。

だが、あのあいさつ文からはそうした「使命感」がまるで感じられなかった。G7サミットの成果を挙げることに原稿の3分の1以上を割き、原爆への思いは表現も通り一遍なものだった。今回が首相になって2回目の原爆忌で、1回目の時も思いの薄さに落胆したが、さらに後退した感じだ。

岸田首相は、総裁選でも出馬を中止するなど、自ら政権を手にする気概に欠け、禅譲を望んでいるかのように見える場面が少なくなかった。自分の意思を伏せて波風立たないことを優先する性格が、時として周囲の反対を押し切っても決断する強いリーダーシップを必要とする立場にふさわしいといえるのかどうか。

そうでなくても不安定な世界情勢の中で舵取りの難しい時代。「聞く力」などと言って決断を先送りしがちな習性が裏目に出ないことを祈る。

 

「暑い日に汗をかかないと快適」はおかしいか

暑い日が続く。「熱中症に注意」「のどがかわかなくても水分を取るように」「暑さに合わせて汗をかく体に順応させることが大切」なんてことがテレビで盛んに言われている。汗をきちんとかけることが、体を冷やすこととなり、暑い夏を過ごすために必要なことなのだ、という。

だがその理論には若干の違和感がある。私はむしろ汗をかかずにすます方が、夏を乗り切れた経験があるからだ。同じ経験を持つ人はいないだろうか。私の感覚が異常で、何かの思い違いをしているのだろうか。わからない。だが、同じ感覚を抱く人もいるのではないかと思い、記しておく。

「汗をかかない方が夏バテしない」と思うようになったのは、中学のころだったと思う。中学で軟式テニス部、高校でサッカー部に所属した私は、夏は連日練習に明け暮れていた。

よく覚えているのは、練習後、日焼けした肌に汗をあまりかかず、さらさらな産毛が風にそよいで、金色に輝くシーンだ。体育座りをしているときに日焼けした腕を見て、とても気持ちよかったことを覚えている。

汗はというと、かききった後だったのかもしれない。当時は、水を飲んで運動するとすぐ汗だくになり、肌がべとべとする感覚が不快だった。そこで少し飲む量を絞り、練習前は少しがまんするぐらいで練習に臨んだ方が体調が調子が良かったのだ。その感覚は、少なくとも高校生のころまでは持っていたと思う。大学のサークルは練習が夜だったし、社会人になってからはそもそも運動をあまりしなくなったので、今もその感覚が続いているかどうかは確認できていない。

ただ5年ほど前、夏に山歩き(といってもハイキング程度のものだが)で熱中症もどきみたいな感じになって、途中の寺の軒先きで小一時間横にならざるをえなくなったときは、暑くて暑くて、しかも汗をだらだらかいてTシャツがぐっしょりするほどだったのに、ちっとも体温が下がらなかったように思う。つまり、汗をきちんとかけるからといって、熱中症予防にはつながらないように思うのだ。

今日、例によってほぼ1日中自転車に乗っていて、炎天下に腕の毛がそよいで少し気分が良かった時に、ふと昔の感覚を思い出したのだった。昔は今ほど暑くなかったからなのだろうか。「汗をかけば体温が下がるから」というのは理屈では正しいとよくわかる。でも体感しているのは違う感覚だ。どうしてなんだろう。今でも疑問だ。

 

新聞の効用

引っ越してから、しばらく新聞を読まない生活を続けてきた。最初はあまり変わらないと思っていたのだが、ふとした時に違いに気づくことがある。

大きなニュースについては、情報を得るのにそれほど困らない。テレビのニュースをつけていれば自然と耳に入ってくるし、自分から調べようとするきっかけもある。

違うのは、やはり自分の関心の外にあるニュースとの出合いだ。新聞のページをめくるうちに偶然目に入ってくるニュースや、写真にひかれてなんとなく読み始める記事、時間が余って何気なく目を通す情報などからいろんな情報を得ていたのだということが、新聞が届かなくなって3か月ほど過ぎてから気づくようになった。

自分が手にする情報が狭くなっているのだ。だから、関心が広がっていかない。かつては新聞に目を通すことを仕事上の義務としていたし、転職後も新聞は毎朝届いていたから、空いた時間に目を通すことが習慣となっていたけれど、今はそれがない。その結果、たとえばそれこそブログのテーマを探すようなタイミングで、細かい雑多な情報を入手できていないことに気づかされることになる。だれもが知っているような、それこそテレビで取り上げるようなニュースか、生活に欠かせない情報。そういったものばかりで、なんの役にも立たないような、でもふとしたことに情報と情報を結びつけ、新しい発想の発端を生み出すような、そんな無駄な情報を溜め込むことができていないのだ。

もちろん、自分で体験する前から「ネット中心の生活になると、自分の関心のあることしか情報を取りに行かなくなる」というのは理解していた。しかし、自分の関心のない情報を取り入れることで生まれる化学変化のことまで思いが至らなかった。個人的には、こちらのほうがよほど重大なことなのに。

 

枕元を照らすソーラーランタン

夜布団に入ってからも、すぐに寝るわけではないことがある。あるいは、寝てもすぐ用事を思い出して、枕元でメモをとったりする時。

そんな時のために何年か前、ソーラーランタンを買った。

空気を入れてふくらませ、内側にある銀色の反射板でLEDの光を拡散させることでランタンの役割をさせるものだ。ソーラーバッテリーを備えており、昼間陽が差す部屋に置いておけば、夜には手元を照らしてくれるというわけだ。

ドラッグストアで偶然見つけ、なんとなく気に入って買った。それほど高くなかったはずだ。空気を抜けば天板と底板だけになるというコンパクトさが一番気に入ったのだと思う。LEDの点灯パターンには点滅や明るくなるなどいくつかあり、普通の明るさで使えば何時間かは持ったから、枕元を照らすだけに使うには十分だった。

何年かたってから難点に気づいた。空気でふくらますスタイルだが、それほど強い構造ではないのにふくらましたりしぼんだりを繰り返した結果、底板と側面のつなぎめの部分が破れて穴が空き、中の空気が抜けやすくなってしまった。しぼんでしまうと光が拡散せずランタンの役目を果たしてくれない。やむをえず後継機を買ったのだが、同じものは見つけることができなかった。

破れたところを直す方法があるのなら知りたいものだ。テープなどの応急措置はベトベトになってしまうので避けたいところ。側面のビニールと似た素材で充填させるようなやり方がないものか……。

ところで、今回アマゾンで商品ページを検索してみて初めて知った。これ、使う時はソーラーバッテリーのある天板を下にして使うのか……。ずっと逆にして(天板を上にしたまま)使っていた……。